過去を紐解いてみれば、アイアンマンのフルディスタンスに出場したのは、なんと2018年11月のアイアンマン・コスメルだった。その年末に膝痛を発症。MRIで見えないほど、半月板がすり減ったためであった。それ以来、コロナもありアイアンマンからは遠ざかっていた。
今回、日本で再びアイアンマンが開催されることになり、制限時間が長いので、完走できるかもしれないと思いエントリーすることにした。膝への負担のない走り方を身につけるために、スポーツリハビリに月1で通ってはいるものの、まったく速く走ることができなくなっていた。キロ7分半で走るのが精一杯。疲れてくると、それさえ維持できなくなる。さらに今年の酷暑で、ほとんど走り込むこともできずにレースを迎えることになった。
レース前々日には、結団式と今年からはじまったJTUのチームサポートプロジェクトの写真撮影をするために、トリップメンバーが集結。懐かしい顔や次世代のエースなども参加してくれて大いに盛り上がった。
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そしてレース当日。曇りベースだが、青空ものぞく涼やかな天気。コンディション的にはいい感じだ。試泳の時、最初は冷たく感じたが慣れてくるとほどよい水温だった。
ウエーブごとのローリングスタートなのだが、申告タイムを間違えたのか、10分ほど早いウエーブになったので、そのグループの一番後ろに位置する。遠浅なので、スタート付近の波が高くなり、なかなか前の選手も泳ぎ出さない。ここは大波を回避して泳ぎ出す方がいいと、早めに泳ぎ出す。おかげで波に乗って守備よく前に進んだ。呼吸は右オープンなので、ひとつ目のブイを過ぎてから大外を行ったためほぼバトルなし。水質はいいのだが、透明度はいまひとつ。周囲の選手が全く見えない。それでも追い抜いていく速い選手の後ろにつき、小判鮫方式をとりながら前に進む。1周回目をなんとかアップし、2周回目へ。時間と共に波が激しくなり、うねりも伴うように。特に第2ブイを過ぎた頃から、気がついたら、外側に流されていた。かなり大回りをして、思ったより5分以上遅いスイムアップだった。
SWIM 1:41:14.
ロングのトランジッションでは、ウエアを全とっかえするのが旅烏流。そのためトランジッションタイムがかなりかかる(汗)。トランジッションから出てくる時から、メンバーや知人から多くの激励の応援の声をかけてもらった。ありがたい。
T1 14:36
バイクは、高速道路に入ってから、変則的に2周回半のイメージ。最初の折り返しのB地点の北斗市側の路面が悪く、振動でボトルゲージのネジが何度も緩くなり、D地点のエイドで2度ほどネジを締め直す。トンネルは2カ所。木古内側は路面もよくDHポジションでガンガン行く。調子は思ったより悪くなかった。
アップダウンのあるコースだが、ほぼDHで上ることできる斜度。しかし腰痛が出てくる予感があるので、時々、DHをやめて上る。D地点からB地点に戻る区間が追い風で、リフレッシュできたのは救われた。
速くはないが、曇りベースだったので、あまり暑くなく最後までヘタレなかったのは収穫。ひたすらにフラットでDHのまま我慢するよりは、ほどよくアップダウンがあったので、180キロという長丁場も、なんとかクリアすることができた。
BIKE 7:11:14
T2に入ると、かなりバイクが並んでいたので、がっかり。調子は悪くなかったけれど、結局、こんな順位なんだなぁと。トランジッションでは、やはり全着替え。たまたまテントでトリップメンバーにも会え、エール交換。
T2 16:26
そして懸案のラン。この1年で、マックスに走ったのが2月の青梅マラソンの30キロ。両膝とも半月板がほぼ擦り切れてないのだが、スポーツリハビリで練習している膝を酷使しない走り方だと、気持ち的にはキロ6分でも、キロ7分半くらいになってしまうことは冒頭で書いた。おまけに青梅後は、諏訪湖の16キロ以上走ることができていないので、無理しないことが前提。14キロの3周回。7キロ半前後で前に進むが、そのペースだとガンガン抜かされる。
夕焼けが綺麗だった。周回なので、先を行く2、3周回目の選手も多く、抜かれざまに「旅烏さーん」と多くの選手に声をかけられる。感謝、感謝。
10キロ過ぎるとさらに遅くなり、2周回目に入ると暗くなってきたので、帽子にかけていたサングラスを外して、トレラン用の軽いヘッドランプに替える。
20キロ付近では、歩いている選手にも抜かされるペースとなり、まだハーフ地点にも届いていないので、最近、未知の領域のフルマラソンに備えて体力温存のため、キロ10分半を目標に歩くことに。
応援の多い3周回目に入る直前の500メートルだけ走る(笑)。アイアンマン特有の赤絨毯のフィニッシュロードの横を通過し、必ず戻ってくると心に決めて3周回目へ。でも、応援の途切れた箇所で、すぐに歩きだす。
3周回目の途中で充電式のヘッドランプが消えてしまう。4時間はもつ光度にしていたはずなのだが。それ以上に歩いているということか(汗)。月が出ていたので、ほのかな光で、なんとか支障なく前に進む。その分、星が綺麗だった。しんしんと冷えてきたので、持っていたウインドブレーカーを着る。
そろそろ制限時間が心配になってくる。
第1関門28キロ 22:00が20:56:53通過 (アスリートトラッカーによれば)
第2関門33.6キロ 22:50が22:01:56通過
必死に歩いてもキロ12キロ半からエイドがあると13キロになる。
第3関門38.3キロ 23:30が23:11:10通過
これなら、24時のフィニッシュは余裕。最後の1キロだけ走ろうと歩いていたが、ふと考え直してみれば、ローリングスタートなので、24時ではゴールできてもDNFになってしまうことに気づく。こういう時に限って、早めのスタートのグループだった!!
もう走るしかないと、ウインドブレカーを脱ぎ、走り出す。
何時に泳ぎ出したのか!
スイムスタートは、6時半。23時30分なら確実にセーフ。でも前のグループスタートの待機タイムがあるので、数分ならば過ぎても大丈夫なはずと思って、スイッチがガンと入って、走りはじめる。残りは3キロ弱か?もう計算もよくできない。必死で走るもののキロ7分台が精一杯。それでも前に進むしかない。
ウィットさんの声が聞こえてくる。そしてフィニッシュロードへ。沿道の応援の人たちにハイタッチして、最後にウィットさんと笑顔の交換。
そしてフィニッシュ。
RUN 7:29:02
ドヒャ。バイクよりランの方が時間かかってる。
TOTAL 16:52:31 (1,310人中1,298位)
最終的に17時間の制限時間の7分半ほど前にフィニッシュ。危なかった(汗)。
ここで終わらないのが旅烏(笑)。その後、フィニッシュ写真を見てビックリ。掲示板が17:00:00になっている。佐渡Aの最終ランナーで制限時間ギリギリでフィニッシュしたことが蘇った。
「旅烏、狙ってません!」
第1回大会で、いろいろと選手目線でなく不都合なことが多かったけれど、そんな不満もフィニッシュロードの瞬間で、すべてが吹っ飛んだ。